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2017年6月25日 (日)

小倉陸軍造兵廠と原町緑道1 ~まずは航空写真から

小倉の街にはかつて大きな陸軍造兵廠(軍需工場、兵器工場)がありました。現在も陸上自衛隊の駐屯地がありますが、そこを含め周辺の広大な土地が兵舎となっていたようです(現在の国立小倉医療センターも元は陸軍の病院です)

軍都と呼ばれ、長崎に落とされた原爆が、もともとは小倉を目標にしたものであったことも知られています(小倉天気が悪くて目標が確認できず、長崎に変更された)

Zouhei

北九州市のサイトにもこのように造兵廠がどのあたりに広がっていたか分かる地図が載せてあります。

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現地の看板にはこのように。

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地図の北東端あたりにあるこの壁も、造兵廠を構成するもので階段の名残と聞きました。

民間に払い下げられたあとも工場が多かったこの一帯、今は工場が撤退した後多くはマンションに変わり、直接的な名残は少なくなっています。

タイトルの後半にある原町緑道を歩くのが今回の主なテーマですが、その前に国土地理院が公開している過去の航空写真から街の変化を振り返ってみます。

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1948年(昭和23年)、戦後間もない小倉の街。上端あたりに小倉駅(現在の西小倉駅)。その左側を南下がっていくのが日豊線。

矢印のあたりは国鉄の工場。現在もJR九州小倉工場として、最近では「或る列車」への改造を手がけたりと重要な役割を果たしています。

あとは、一目見てわかると思いますが、小倉城より南を大きく占めるのが造兵廠の跡地。当時どのように使われていたのか分かりませんが、建物の配置は戦時中の姿を残しているようです。

19480407_zouhei

よく見ると、造兵廠の南端につながる線路が日豊線から分かれています。国策上重要な引き込み線であったと思われます。

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1960年(昭和35年)と1975年(昭和50年)。

引き込み線はなくなっているようですが、造兵廠跡の建物の配置は意外と変わっていません。

でも、今の大手町地区を南北に貫く道路が1975年にはありますね。

19941025_zouhei
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1994年(平成6年)と2009年(平成21年)。

工場っぽい建物はほとんどなくなり、マンションや病院が立ち並ぶ現在の街の姿に。

引き込み線の跡地が原町緑道として正式に道路公園?として整備されたのが現地の銘板によれば1978年(昭和53年)。上の2群の間になりますが、確かに緑が増えたような?

撮影範囲全体を見ても街の緑化が進んだように見えますが、撮影時期の違いもあるかもしれないので断定は避けます(画像のファイル名を撮影日にしています)

次から原町緑道の現地写真を紹介します。

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